2013年3月19日火曜日

ロバート・キャパ : ふたつの魂

《ロバート・キャパ、セゴビア戦線》
ゲルダ・タロー撮影(1937年)
先日、伝説の写真家ともいわれるロバート・キャパ展に行ってきました。
戦場カメラマンとして有名なキャパですが、今回は初めてキャパの新事実を知りました。

それは、キャパは1人ではなくて2人だったということ。。。

キャパの本名はアンドレ・フリードマン(1913-1954)。
フランスのパリで、同じユダヤ人の女性写真家ゲルタ・ポホリレ(1910-1937)と運命的な出会いをします。

二人は公私ともにパートナーとして活動を始めますが、なかなか売れません。
そこで、考えたのが「ロバート・キャパ」という架空の写真家を演じること。

設定は “裕福で魅力的なアメリカ人紳士” 。
当時のアメリカは文化の最先端を行く国。写真も高く売れると思ったのです。
(キャパという名は『素晴らしき哉、人生!』で有名な映画監督、フランク・キャプラからとったという説あり。アンドレは映画の世界に憧れていました)

「ロバート・キャパ」という名前にしたところ、仕事が増え始め、二人の写真は以前の三倍もの値段に!
そして、戦場という舞台に「キャパ」を導いたのもゲルダだったといわれています。

そのうちにゲルダも「ゲルダ・タロー」という名で自立。
(当時、パリで親交のあった岡本太郎さんにちなんで)
ところが、ゲルダはスペイン内戦の取材中、26才で帰らぬ人となります。
戦場で命を落とした初めての女性カメラマンでした。

二人が出会ってからたった3年(; ;)
その深い悲しみからアンドレは何週間もひきこもり、写真家さえ辞めようと考えます。
しかし、その後は再び激戦地へと向かい、より果敢にシャッターを切り続けました。
こうして、ゲルダのプロデュースした「キャパ」は世界で最も有名な写真家の一人になったのです。

宝塚の舞台『ロバート・キャパ 魂の記録』を作った原田 諒さんは、ゲルダの死によって「ゲルダの魂がアンドレに吸収され、2人はひとつになった」といいます。

《カフェ・ドゥ・ドームのテラスにいるゲルダ・タローと
ロバート・キャパ、パリ》フレッド・スタイン撮影(1936年)
私は写真の技術的なことはまったく分かりませんが、キャパの作品は戦場写真でありながら、なぜかあたたかく感じる部分があります。
『北風と太陽』に例えるとするならば、“太陽”のよう☀

時おり見せる兵士の笑顔。市民のありのままの姿。

私達の心をあったかくすることで、戦争の悲しみがいっそう伝わってきます。
きっとキャパの中にはいつもゲルダがいて、“ふたつの魂”から生まれる愛が写真に表れ出るのだと思いました(*^_^*)♡

《アメリカ軍兵士と彼の部隊が「養子」にした戦争孤児たち、ロンドン》
ロバート・キャパ撮影 (1943年)
(写真など…NHK Eテレ「日曜美術館 『二人の“キャパ”』」2013.3.3より)

~宝塚バウ・ミュージカル 『ロバート・キャパ 魂の記録』 第2幕9場~
「ゲルダ、いつかきっと俺は失業するよ」
「失業?」
「ああ。この世からすべての戦争が終わること―戦場カメラマンとしての失業だ。そうしたら結婚しよう。二人でパリに小さな写真館を開くんだ。そして、子どもたちの笑顔を沢山撮ろう」
横浜美術館 「ロバート・キャパ ジャーナル 2」  2013.2.22
原田 諒「生きた 愛した 戦った ―宝塚歌劇のロバート・キャパ―」 


0 件のコメント:

コメントを投稿