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先住民の「マナ」の教え ~物差しは徳や品格の高さ~ニュージーランドに西洋人が貨幣制度を持ち込む以前、先住民のマオリ族の間で流通していたのは、「おカネ」ではなく、ある「価値観」だった。
それは「マナ(Mana)」と呼ばれ、英語には該当する言葉がない。
森に立つ我が家の隣人で、マオリ族の末裔(まつえい)という方が、そう教えてくれた。
人は最大級のマナを持って生まれ、不徳や罪を犯せばマナを失うが、善行により「与える」ことで、マナは高まる。
ぼくは、人は誰かから感謝されるたびにマナを受けとっているのだ、と解釈している。
マオリ族は、カネやモノのためでなく、マナを高めるために生きてきたという。
翻って日本。アベノミクスによる経済効果が追い風となり、参議院は自民党が圧勝した。
世界に目を転じれば、ほとんどの先進国で金融緩和が行われる一方で、大量生産・大量消費の国アメリカの象徴でもある、クルマ産業の街、デトロイト市が財政破綻した。
規律や品性をかなぐり捨てて、貨幣の流通量を増やし続ければ、いずれ崩壊するのは歴史が証明している。
永遠の経済成長を求めても、有限の地球が耐えられないことは明白だ。
でもいまだに多くの人が「経済成長=善」という破壊的な仕組みを盲信し、必要以上のカネを奪い合っている。
人類の向かうべき持続可能な社会への方向転換や価値観のリセットは、いまや急務だ。
そのヒントが「マナの思想」にあると思う。
マナを日本語にすると「徳」や「品格」に近い。去年のクリスマス・イヴのこと☆
こうした、本来誰もが大切にしてきたはずの気高さ、人類の根底に流れる本質的な美意識こそが、これからの人類のめざすべき方向になるはずだとぼくは信じている。
体調を崩して寝ていたら、「この世の通貨が“お金”でなく“愛”に変わる!」 という夢を見ました♡
きっとこれは何千年後かにやって来る未来の姿? 予知夢…?! と思って喜んでいたのですが、このコラムを読んでびっくり!
もしかしたら前世の記憶?! だったのかもしれません(#^.^#)
でもよくよく考えてみたら、これは太古の昔から現在、そして遠い未来まで本当は脈々と続く真理なのでは…? と思いました。
つまり、たとえ現代の通貨が「おカネ」であっても、買いたいモノの中に「マナ」を感じるからこそ、私たちは「おカネ」を払っているのではないでしょうか。
だから商品にしてもサービスにしても、売り手が買い手を想い「マナ」を込めれば消費者は自然に集まってくる。
「おカネ」は後からついてくるもののような気がします。
今の時代は「光と影」、「善と悪」のように、「マナとおカネ」もどちらか一方だけではダメ…というような表裏一体なものなのかもしれません。
けれど、このコラムの著者、四角(よすみ)さんがおっしゃるように、これからはまた目に見えないものが重んじられる時代に戻っていくのでは…(単なる摩訶不思議なものという意味ではなく、生活の一部として)と思っています。
去年出たマッキー(槇原敬之さん)の歌、「四つ葉のクローバー」もそんな歌(^^♪
(ヨーロッパの先住民、ケルトの音楽を取り入れて作られた…という経緯もとっても興味深し!)
☆槇原敬之 【四つ葉のクローバー】 (short ver.)
~ YouTube ~
http://www.youtube.com/watch?v=ux7FfsbryAg
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