2015年2月15日日曜日

壊れたときがスタート

雑誌「暮らしの手帖」編集長の松浦弥太郎さん。
高校をドロップアウトし、アメリカで放浪後、肉体労働をしながら路上で本を売っていたそう。
現在は書店の経営、文筆業、編集長…と幅広くご活躍されています。

松浦さんの本には共感できる部分がたくさんあったので、2回シリーズでご紹介したいと思います(*^_^*)✎


ラジオでも鞄でも、自転車でも同じです。この世に存在するもので、壊れないものはありません。
「もうさんざん使ったし、新しいものを買ったほうが安あがり」というのが世の流れかもしれません。
それでも僕は、壊れたものを修理して使うほうが好きです。
ものは壊れるという大前提があるから、そこがスタートだと思います。…

人とのつきあいもこれと同じです。
ぶつかり合って摩擦がおき、壊れたりひびが入ったときがスタートだと思っています。

なごやかにしているだけのかかわりなど、浅いものです。
トラブルが生じ、気持ちをむき出しにして傷つけあい、これまでのつきあいが壊れたとき、初めてその人との関係が始まるのです。

人の気持ちはものより壊れやすくて、何回でも壊れます。
そのたびに僕たちは、分かれ道に立つことになります。

いさかいから逃げ出し、この人との関係を捨ててしまおうか。
それとも、ひるむことなく正面から向き合い、懸命に丹念に関係を修繕しようとするのか――。

僕はいつも後者を選びます。
それはものを直すのと同じく、いや、はるかにタフな試練ではあります。
体裁のよい顔をかなぐり捨て、言いにくいことも恥ずかしいことも言葉にし、ときには子どもみたいに泣きながらその人と向き合う。
これは生半可な気持ちではできません。

それでも傷やほころびがていねいに直されたとき、きっと関係は一段と深く、豊かなものになっているはずです。
おだやかで満ちたりた気分が味わえるはずです。

豊かさとは目に見えるものではなく、そこに隠された物語だと思います。…

人とのかかわりも、「あんなこともあったけれど、自分たちは乗り越えてきたな」と思い出せる出来事があればあるほど、豊かになります。
恋人時代から一度も喧嘩をせず連れ添っている夫婦がいたら、なんだかさびしいし、不思議な気がするのは僕だけでしょうか。

ものは経年劣化で磨(す)り減ることもありますが、人とのつきあいの場合、馴れ合いになって摩擦が起きないことのほうが危険です。
壊れることが大前提だと思えば、真正面から相手にぶつかっていくこともできます。
大勢ではなくても、そんな相手が何人かいれば、豊かな人生となるはずです。

~松浦弥太郎 『暮らしのなかの工夫と発見ノート 今日もていねいに。』 (2008年)~

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