2017年6月5日月曜日

氣!

以前、友人に連れて行ってもらった元氣カフェというお店
古民家を改装して造られた糀(こうじ)カフェです♪

手作りの甘酒は、ご飯のつぶつぶ感が残っていて、これまでの甘酒の概念を完全に覆されました!
食後のデザートに頼んだのですが、主食にもなりそうです♡


こうじ入りの野菜ホットスムージーも、今までどうしてこういうのが無かったんだろう…という感じ(^o^)
冷たい飲み物が苦手な私もスープ感覚で頂けます♡


このお店に行って以来、「氣」という字がずーっと気になっており、、、
そんなある時、『心と身体のパフォーマンスを最大化する「氣」の力という本を発見!


そもそも「氣」とは「エネルギー」のこと。

この本によると、「氣」「米」の部分には八方に広がるという意味があるそうです。
というのは八方に通うものなので、でなくの字を使うとのこと。

さらに、「は日本人にとってエネルギーの源」とも、あるサイト「氣と気の違い」に書いてありました。なるほど~!!

目には見えないけれど、生きていく上で欠かせない大切な
難しい内容かなぁと思って読んだら、ガッテンできる内容がいっぱいでした☆

*  *  *  *  *
わたしたちは自然の一部の存在であり、自然と常に交流することで生きています。  
呼吸はそのひとつです。身体の外部から空氣を取り込み、酸素と二酸化炭素の交換をおこなって、二酸化炭素を外に排出する。この一連の流れは、自然との交流そのものです。  
食物も同様です。身体の外から取り込んださまざまな食物を消化し、エネルギーを得て、そして排泄するという一連の流れは、自然との交流です。  
氣もこれらと同じです。自然とわたしたちとの氣の交流こそが「氣が通う」ということです。
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氣は出すことによって、新たな氣が入ってくるという性質を持っています。そうすることによって、氣は通うのです。
つまり、氣はつかえばつかうほど、元氣になります。  
氣は「溜める」ものではなく、「通う」ものだというのはとても重要なポイントです。
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氣が通っている状態を「元氣」といい、氣が滞っている状態を「病氣」といいます。
そして寿命を終えて「自分」という囲いがなくなると、大自然の氣に還っていきます。
このような視点で見れば、わたしたちの生命は、大自然の氣から生じ、大自然の氣に還るといえるでしょう。
この世に生を受けているあいだは、常に氣が通っているのが本来あるべき姿なのです。
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現代社会には「漠然とした不安に襲われる」という人が非常に多くなっています。
その不安から逃れるために、意識して「誰かとつながろう」「何かとつながろう」とする人もいますが、一時的に氣が紛れても、またそこはかとない不安に襲われているのが実情ではないでしょうか。
わたしはこの状態を「氣の欠乏症」と呼んでいます。
この広大な大自然において、自分が「個」としての存在でしかないとしたら、例えようのない不安を感じることでしょう。 
この、無意識にある「自然とのつながり」を実感できなくなり氣が滞ってしまった状態が、氣の欠乏症なのです。 
しかし、わたしたちはもともと自然の一部の存在なのですから、意識的に「つながろう」としなくても、もともと「つながっている」のです。
これを実感できたときに、この不安は影を潜めます。
~藤平信一心と身体のパフォーマンスを最大化する「氣」の力 

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